年金制度の歴史

以下の記述の中で誤りが一つあります、それを選択してください。

(1)年金制度の歴史は比較的新しく、その始まりは明治時代の全額税負担の「海軍退隠令」、「陸軍恩給令」に見ることができます。もっとこの勅令の対象になるのは、お国のために働く軍人やその遺族に限られていました。

(2)本来の年金制度に近いのは昭和15年から施工された「船員法」にあると考えられます。ただし、この名称どうり、対象者はこの船員法で規定されている船員に限られていましたが、この船員法では医療制度も含む社会保険制度の原型が見て取れます。

(3)厚生年金制度の始まりは、昭和17年施行の労働者保険法でしたが、適用事業所や対象の被保険者が男子肉体労働者でありかつ10人以上が要件であり、かなり限定的な年金制度はありましたが、その後昭和19年に厚生年金保険法と改称され、適用事業所の範囲や被保険者の範囲も女子にも広がりました。

(4)厚生年金保険法は戦後の昭和29年に大改正がおこなわれ、現在の年金制度のもとをなす、定額部分と報酬比例部分の2本立てとなり、支給開始年齢も男子65歳、女子60歳となりました。

(5)戦前の厚生年金制度の目的は、被保険者の老後保障というよりも、戦費調達の意味合いが強いもので、支給が実際開始されるのは何十年も先の話であり、戦争を継続するための費用をいかに捻出するか、このための制度創設であったと言えます。また、保険料は積み立て制度であり、現行の厚生年金制度のような世代間扶養制度ではありませんでした。

 

【解答】年金制度の歴史を問う問題です。年金制度自体は諸外国に国と認められ、認知された明治時代にその出発点を見出すことができますが、全国民というより、国のために働いたと考えられる軍人や高級官吏、そしてその遺族が対象でありました。

本来の意味での年金制度は戦後になって構築されたと言えるでしょう。

なお、(4)の旧厚生年金法の支給開始年齢は、男子は60歳、女子は55歳でした。

したがって(4)が誤りであり、本問の正解となります。